大柴陽介が死んでしまった。
いかにも早死にしそうな奴だったが子供3人だっけ?残して逝ってはいかんだろ、ばか。
子供らの母はこれまで以上に大変だ。でもみんなたくましく育つんだろうね。大柴くんの子だし。
彼と僕は仲良しだったかといえば、他の音楽仲間や知り合いと同様に別に普通の距離感だった。自分の演奏の場に彼が居た方が楽しいと思いつく時に彼を誘い、彼は彼で僕のなにかを聴いたら感想の手紙やレスポンスとしてのカセットを送ってきてくれたりして、音楽を通じてだけのさっぱりした関係。父親になってからの彼のことはほとんど知らない。高円寺でバイクで野菜を配送中の彼に呼び止められてちょっと立ち話をする程度だった。それでも大柴くんのことは特別な友人だという気持ちを持っている。
大柴陽介に最初会った時は"バッファロー"と自分を名のった。
2000年の頭頃。涼音堂の企画で知り合ったミロクちゃんに誘われてUFOクラブでのオールナイトイベントに出演した。その時に"音音"というジャムバンドのギタリストとして大柴と初めて出会った。その時の大柴はギターでベースっぽい役割のトランシーな演奏をしていたんだが、僕は大柴君のプレイにすごくしびれた。天才だと思った。その後見る数々のまぬけな要素は全く無く、たまたまだったんだろうが、ものすごくハンサムにグルーヴしていた。フロアで踊ってたのは僕と現ミッシング箱庭の木村さんの二人だけだったような気もするがムチャクチャ踊れた。帰り際に「ものすごくかっこよかったですよ」と声かけたら、ヤンキー座りしてたヤツは文字通り漫画のように飛び上がって「マジで!!?」と喜んだ。
その後4年くらいはよく自分のライブに参加してもらった。まだ僕はまともな歌は歌っておらず、TAKAのドラムと自分のスキャット&エレキギターの即興パンクなスタイルでライブに挑みはじめた時期だった。プラス、音音の大柴・田崎まんざぶコンビとDJクミコ(現DJミステイク)とayayaと加藤吉樹とイトーヒデノブと宮下ともたけ、という面子が自分の中では”クエスチョンナゾバンド”という認識。大柴はナゾバンドでは"アブラ虫35才"と名のっていた。アブラ虫は表向きには激しくディレイをかけるトランペット担当だったが、実際のポジションは本番になにかをやらかす爆弾担当と言えた。面白いから自由にさせていたが注意してないと火をつけようとしてたりするのでそんな時はギターのネックで思いっきり頭をゴンとやって制止した。「痛て!!」と頭をおさえる時のちょっと怒って、でも痛そうなあの顔、何度もさせちゃったな。そして、制止できず大変なことになったこともあった。それについては、まーいいか。
アブラ虫35才の阿呆でスパイシーな音が沢山収録されたアルバム「スッパとクエスチョンナゾバンド」はChildiscから2001年に発売され、今でも連絡くれれば私から購入して聴くことができる。主に名古屋とヨーロッパで人気のあるファンキーな盤である。
大柴くんはひねくれたことをするがとてもピュアだった。とびきりの阿呆だけど邪気が一切なかった。いや、あったのかな?人の表現には嫉妬することはあった。
人に迷惑をかけちゃうことも多いが、こころ優しくいつもふざけて笑顔で自然体で、かっこわるかったりかっこよかったりの愛すべき音楽人大柴。情けなーいありのままの表現が時としてえらいかっこよかった。本人は常に純度の高いオモシロさを求めており、その為だったらなんだって躊躇無くヤッた。予告なしに。。
大柴くんが一時期主催してがんばっていた自主CDレーベルの名前は「オーラカンパニー」という。オーラがどうのと言うやつは良くも悪くも純粋である。腑に落ちるネーミング。
この頃は"yo-ohshima"と名のってたね。
お通夜も葬儀も好きじゃないから僕は行かない。大柴くんがスッパの「まわり道」という曲を気に入ってくれていて、あるときカセットかMDかで勝手にカヴァーしてくれた音源を送ってきてくれたことがあった。それをまた聴きたくて、明日あたり探して聴きたいと思ってる。
"大柴陽介"という人間は凄い作品だ。これからもいつでも思い出せばニヤニヤさせてくれるんであろうから。僕だけでなく大柴くんに触れたことのあるきっと全員を。
それはすごいことでしょ。
いかにも早死にしそうな奴だったが子供3人だっけ?残して逝ってはいかんだろ、ばか。
子供らの母はこれまで以上に大変だ。でもみんなたくましく育つんだろうね。大柴くんの子だし。
彼と僕は仲良しだったかといえば、他の音楽仲間や知り合いと同様に別に普通の距離感だった。自分の演奏の場に彼が居た方が楽しいと思いつく時に彼を誘い、彼は彼で僕のなにかを聴いたら感想の手紙やレスポンスとしてのカセットを送ってきてくれたりして、音楽を通じてだけのさっぱりした関係。父親になってからの彼のことはほとんど知らない。高円寺でバイクで野菜を配送中の彼に呼び止められてちょっと立ち話をする程度だった。それでも大柴くんのことは特別な友人だという気持ちを持っている。
大柴陽介に最初会った時は"バッファロー"と自分を名のった。
2000年の頭頃。涼音堂の企画で知り合ったミロクちゃんに誘われてUFOクラブでのオールナイトイベントに出演した。その時に"音音"というジャムバンドのギタリストとして大柴と初めて出会った。その時の大柴はギターでベースっぽい役割のトランシーな演奏をしていたんだが、僕は大柴君のプレイにすごくしびれた。天才だと思った。その後見る数々のまぬけな要素は全く無く、たまたまだったんだろうが、ものすごくハンサムにグルーヴしていた。フロアで踊ってたのは僕と現ミッシング箱庭の木村さんの二人だけだったような気もするがムチャクチャ踊れた。帰り際に「ものすごくかっこよかったですよ」と声かけたら、ヤンキー座りしてたヤツは文字通り漫画のように飛び上がって「マジで!!?」と喜んだ。
その後4年くらいはよく自分のライブに参加してもらった。まだ僕はまともな歌は歌っておらず、TAKAのドラムと自分のスキャット&エレキギターの即興パンクなスタイルでライブに挑みはじめた時期だった。プラス、音音の大柴・田崎まんざぶコンビとDJクミコ(現DJミステイク)とayayaと加藤吉樹とイトーヒデノブと宮下ともたけ、という面子が自分の中では”クエスチョンナゾバンド”という認識。大柴はナゾバンドでは"アブラ虫35才"と名のっていた。アブラ虫は表向きには激しくディレイをかけるトランペット担当だったが、実際のポジションは本番になにかをやらかす爆弾担当と言えた。面白いから自由にさせていたが注意してないと火をつけようとしてたりするのでそんな時はギターのネックで思いっきり頭をゴンとやって制止した。「痛て!!」と頭をおさえる時のちょっと怒って、でも痛そうなあの顔、何度もさせちゃったな。そして、制止できず大変なことになったこともあった。それについては、まーいいか。
アブラ虫35才の阿呆でスパイシーな音が沢山収録されたアルバム「スッパとクエスチョンナゾバンド」はChildiscから2001年に発売され、今でも連絡くれれば私から購入して聴くことができる。主に名古屋とヨーロッパで人気のあるファンキーな盤である。
大柴くんはひねくれたことをするがとてもピュアだった。とびきりの阿呆だけど邪気が一切なかった。いや、あったのかな?人の表現には嫉妬することはあった。
人に迷惑をかけちゃうことも多いが、こころ優しくいつもふざけて笑顔で自然体で、かっこわるかったりかっこよかったりの愛すべき音楽人大柴。情けなーいありのままの表現が時としてえらいかっこよかった。本人は常に純度の高いオモシロさを求めており、その為だったらなんだって躊躇無くヤッた。予告なしに。。
大柴くんが一時期主催してがんばっていた自主CDレーベルの名前は「オーラカンパニー」という。オーラがどうのと言うやつは良くも悪くも純粋である。腑に落ちるネーミング。
この頃は"yo-ohshima"と名のってたね。
お通夜も葬儀も好きじゃないから僕は行かない。大柴くんがスッパの「まわり道」という曲を気に入ってくれていて、あるときカセットかMDかで勝手にカヴァーしてくれた音源を送ってきてくれたことがあった。それをまた聴きたくて、明日あたり探して聴きたいと思ってる。
"大柴陽介"という人間は凄い作品だ。これからもいつでも思い出せばニヤニヤさせてくれるんであろうから。僕だけでなく大柴くんに触れたことのあるきっと全員を。
それはすごいことでしょ。