レコード水越写真館

2016年02月

 今まで結構な時間デッサンした
若い頃デッサンの学校に3年通っていた
絵は23歳頃に描くことを止めてその代わりに音を出しはじめた

去年の秋くらいからリハビリのようにドローイングを描くようになった
なにか写真なり絵なりの対象を見ながらペンを走らせているからそれはデッサンに近い

しかし私は本当にデッサンをしているといえるのか・していたといえるのか 
それはなかなかに怪しい
デッサンできているかもしれない瞬間はあってもそれはほんの一瞬だけだったり


対象を捉える
形をとる
ということを紙の上に表すことはとても難しい 
見えている通りに目の前のものを描き写すというのは難しい
正解がないから
あるいはどんな正解もありうるから
どんな見方も見え方もありうるから
選択肢がありすぎで自由がすぎる

まず視点をどう定めるか
捉える対象を フレーム全体とするか
1つか2つのもの(モデルと椅子とか)だけにしぼるか
さらに部分(目とか)だけに留めるか
という選択の仕方次第でデッサンのゴールのジャンル?も豹変する
頭から描くのか
足から描くのか
大まかなガイドシルエットをさっと描いてから細かく描き込むのか
いきなりディテールから精密に描き拡げていくのか


デッサンとは本来
それをした結果の体裁を取り繕う必要はない
圧倒的にそこに在る実体を
よりリアルに感じとる為に手を動かし
手を動かすことでさらに発見していく
その全情報をキャッチするのは人間ごときには手に負えぬボリュームがある
その肝心要な要点をいかに枠線に集約省略して書き留めるか
省略力はアレンジ力でもあるが
デフォルメが過ぎると単に自分の想像力以下のものになる

間違えた線の上に平気で舵の取り直しの線を重ねてぐちゃぐちゃになってもいい
消しゴムで消せるなら間違えてる方の線は消したほうが格好はつく
だがデッサンそのものを作品にしてやろうという邪念がないなら消す必要もない
絵を職にしようとする者なら 辻褄合わせのテクニックを磨くという意味で
まちがいを活かして手癖で格好を整えるのはそれも勉強で大事なことだが
デッサンの意味からは遠ざかる
モチーフをごまかし力を駆使してでっちあげることはデッサンではない
消せないペンでいきなり描くとそうなりがちだ(私のことだ)

 ”あたりまえなフォルムというのは存在しないこと" は普段意識されないが
なにもかもは全くあたりまえな姿をしていない

見えているものの実際の形というのはどんなに絵が上手い人の想像をも越えている
なにかを観察するという行為の中で驚きがないのならそれはきっとデッサンになっていない
驚けないのであれば・なにも感じないのであれば デッサンの意味もないしする必要もない
驚きがないという人がいたとしたらそれは浅はかな驕りで
驚きもないのに走らせる線は手癖的で思いこみの産物で見る人にも世界の驚きを伝えない
ただの自分の絵というのであればそれで構わない
だがデッサンとは明らかな勉強行為で
世界をよく見ること・よく感じること であり
世界を捉えようと試みることであり
そこから発見をしようとすることだ
そこにそれがある と認めること・感じること が出来るまでは
手を動かしはじめるのは軽率で
よく見ることがとにかく重要で
「あ!」と思う度に少し覚醒が起きる

そのリアリティと己の取っ組み合いに緊張しすぎてはいけない
それに接近しフォーカスしつつも遠くからも眺めてる感覚を同居させ
瞑想的な心持ちの上で静かに興奮できれば理想的だ
リラックスしているけど木目細かくコントロールを働かせられる状態
指先と脳が優雅に連動するように

目の前のリアルな見え方に驚くことと
それプラス 紙の上にペンを走らせるその瞬間瞬間の力加減に快感を作れるかどうか
そこも重要だ
線を刻むこと・滑らすこと そのことそのものをどれだけ楽しめるか
それは "ものをよく見ること" とはまたチャンネルが違う
チャンネルは別だがその2つのチャンネルにマルチタスク的に生きることで生まれる線は
いい線になる
いい線にしなくたっていいのだが絵を描こうとする大人は大概不埒で
いい絵にしたい・いい線にしたいと思って描いてしまいがちだ
また その "快感" は
道具と自分との相性・道具同士の相性 がマッチしていれば
気持ちよく筆をすべらせることは難しくはない


デッサンをしたことがない人物でも日頃の瞬間瞬間を充分に吸収できている人は
デッサンするまでもなく 描くものに "かんじ" を出せる
目の前に無くても頭にそれがリアルにイメージできてそれをスケッチできるから

私は記憶力や観察力が鈍い
加えて色んなことがなにもわかっていない
だからデッサンすることには意義がある

しかし
デッサンした分だけ何かを習得できたのか と自問するなら
わりと自信を持って NO と自答する
幸せな瞬間はある
それは刹那的な楽しさだ

自意識を解放することを簡単だ と言える人がどれだけいるかわからない
自意識を解放するということは難題だが
デッサンをすることで自意識が解放される瞬間を私は求めている
自分で イイと思えるドローイングは
それを描いていた時、
似てなくたっていい
良くなくたっていい
間違ってたっていい
という 自意識を手放せた境地になれてる時のドローイングだ
いつでもそこに至れるのなら最高だがそれはむしのいいはなし

それでも
理想のドローイングではなくても
私の描く線ににじんでいる味わいには定評があって
こんなのが? というようなものが気に入られたりもする
他者からすればデッサン的にどうかなどということは
そんなのぜんぜん関係ネー
だったりするもんなのであった



      -

さて
デッサンや線について語れることはまだまだあって
本でもかけそうなくらいだけど
今日このお題目で記事を書いたのは
私のドローイングをCDの特典につけるキャンペーンを始めたからです

今月はスッパマイクロパンチョップのアルバム拡販月間として
2種類以上アルバムを同時注文してくれた方にドローイング原画1枚プレゼントします


プレゼントする私のドローイングは独創的なオリジナル作品ではなく
何か対象を見ながら私がデッサン・スケッチ・模写 するかんじのものに限ります
描いてほしいもののリクエストにお応えするかお任せしてもらうかどちらかで
良い出来のものが送られる保証はありません^^
上記本題でかいたようなことととりくみながら描きます


CDをオマケと考えるとひょっとしたらあなたにとって
はじめての"絵を買う”という体験になるかもしれません


うたものポップ「pip pup gii」(2013/15)   ¥1500 13song CD-R 
家具の電子音楽「わたしはオルガン」(2014)  ¥2000 23track CD 
最初期録音集「1995」(2015)         ¥1995 32track CD-R

二枚でも三枚でも送料は+150円です

suppasuppa@gmail.comまでご注文ください

どのアルバムも当然ながら心から聴いて欲しい作品です


早速セット注文とリクエストは来ていて
短歌
これはMC505を描いてほしいというリクエストにお応えして
スッパスタジオのごちゃごちゃ感そのままの景色をスケッチしました
いいんだか悪いんだか判断つきません(笑)

あたりはずれも相性次第・運次第というところですが
奮ってリクエストください






























 

私はガリガリなモデルばかりを描くデッサンの学校から ヌードモデルとして月1・2回程度だがもう25年も呼ばれ続けている。体型維持などに気をつけているとか体を鍛えようとトレーニングしたり...などということは一切ない。
モデルの自覚を持ってるのはポーズをとる瞬間とポーズをとっている時とお金をもらう時だけで、それ以外の時間に準備があったり企業努力があったりということは全くない。
(なるべくモデル前にトイレを済ますようにもっていく ということは心がけている) 

なぜずっとスリムでいられるのかと問われて考えてみると、音楽が好きだから という理由に行き着く。

若い頃、食費を極限まで切り詰めて一日一食、食費は平均300円までとして、その分1枚でも多くアナログレコードを買っていた。一人で外食なんてありえない。酒や煙草に興味がないのも、そんなものにレコードを買うお金を奪われたくなかったからかもしれない。

今朝も春菊と鰹節のおひたしだけでご飯を食べたが本当に美味しくて大満足した。おかずが一品でも幸せな気持ちになれる。みんなで色んなものをつまむ飲み会やらコース料理などの楽しみも分かるけどもそれよりも1本の美味しい焼き鳥の串があるのなら私はそれを最大限に味わいながらご飯をおかわりたい。
一人でいる時の食に関しては欲張る気持ちが全く起こらない。

自分をそのようにカスタマイズしたものは、未知の素晴しい録音芸術に出来るだけ多く出会いたい という欲望と、実際に私を励ましてくれた音楽達のせい(おかげ) だ。いや、元来のケチな性分も大きいか。
世のお母さんや食事提供者は家族やお客さんにはたらふく食べさせてあげたい と考えるのがポピュラーだけど、胃をパンパンにさせてしまうほど飲食することってやっぱり翌日お腹も壊すし胃が拡張してより沢山食べないと満足できなくなり肥満化も当然で健康を思いやるつもりが効果は逆なんじゃないかと。

そんな風に思う私ではあるが、これをDJの作る時間や音楽摂取にあてはめると、自分に矛盾が起こる。1時間のDJとか4時間のパーティーや3時間のブッキングライブイベントのどれでもが食事においての特上盛り沢山コースで、ちょっと体験しただけでお腹が一杯になる人がいてもそれは至極真っ当なことだ。
でも私は音楽的には大変に欲張りで、お腹が一杯だろうが構わない・一時退屈だろうが構わない・次の瞬間には何か発見がある可能性があるならその場を離れられない。音楽の現場から逃れられない。 

要するに、音楽的には、視覚化されるなら私はブヨブヨの肥満体なのだろう って話し。。

究極的に考えれば、音楽は薬なので、薬の要らない体を目指すべきなんだと思うのだけども。
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